2013年02月06日

休場(やすんば)

 時は寿永2年(1183年)、源平の戦いの中で「一ノ谷の戦い」というのが起こります。
 兵庫県の真ん中へんで起こる戦いなんですが、その時、源義経率いる軍勢が三田ー篠山ルートを通って、行きました。

 三田市から県道292号線(国道176号の裏道)を通っていくと、右手に虚空蔵山をみながら今田町に入ります。このへんは立杭焼と呼ばれる日本6古窯に数えられる、平安時代から続く陶器街になります。

DSC_0037.jpg
↑(虚空蔵山)


 その立杭焼のところを抜けたところに、今田町休場という集落があります。

 この「休場」、やすんばって言うんですけど「なんで休場なんだろう」と思っていたんですね。

 実は、義経率いる源軍が、この一ノ谷の戦いでここまでやってきたときに「いったん休もう」といって、休憩したところなんだそうです。

 虚空蔵山のふもと、このへんでしょうかねえ。
 今は休場の公民館がありますけど、この公民館の前で椅子でも出して休んでいたのかしら。

DSC_0041.jpg
↑(休場の公民館)

DSC_0045.jpg
↑(このへんのどっかで休んだのかなあ。右手奥が立杭焼のお店がいっぱいあるけど、倉庫が邪魔で写真では見えん)

 ところで虚空蔵山って、どんな意味があるんだろ。
 虚空蔵菩薩からきてるのかなあ。
posted by きとら at 15:58| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月01日

封人の松

 国道176号線沿い、三田市と篠山市の境目のところに、なんか不思議な祠があります。
 以前から「あれはなんだろう」と思っていたのですが、意を決して見に行ってみた。

DSC_0017.jpg

 「封人の松」と書いてあって、中には木彫りの立派なフクロウがいた!

DSC_0016.jpg

DSC_0011.jpg

 この封人の松があるところは、ちょうど三田市と篠山市の境目なのですが、昔の「摂津の国」と「丹波の国」の境目でもあります。
 今も日出坂峠と書いてあるにもかかわらず、今ではただのカーブしている道なのですが、その昔はこんなきれいな道があるはずもなく、この山を乗り越えていったっぽいです。
 なので今でも、このへんを日出坂峠と呼ぶのだとか。
 江戸時代には草野峠って呼んでたんですねえ。今でもJR草野駅があります。

 この国境の町、三田側が日出坂村、篠山側が油井村草野というところでした。


 以降、聞きかじり。


 江戸時代前期、この日出坂村と油井村が境をめぐって揉め事になりました。ここは摂津と丹波の国境であり、領地に関わる問題になるので、京都の奉行所にゆだねられることになりました。
 6年間の騒動の末、元禄9年(1696)年、京都所司代が判決を下して確定したのです。

 この時、日出坂村の庄屋であった五兵衛さんが、村に有利になるように自らが京都に住み、18回にも及ぶ出廷をしたため、裁定は日出坂村の言い分がほぼ取り入れられたのだそうです。

 そして、境界線に4本の松が植えられました。これが「封人の松」です。
 松は昭和初期まで2本が残ったのですが、1971年に武庫川河川改修の際に伐採され、最後の一本がこの祠のところにあったのです。
 残念ながら最後の一本も2008年に枯れてしまいました。

DSC_0012.jpg

 この歴史と伝統を残そうとして、地元の人たちがこの松が枯死する直前に新芽を採取し、2008年10月に封人の松を再生させる植樹祭が行なわれました。
 だから、枯れた松の前に新しい松が育っているのですね。

 それと、この枯れた松の一部で掘ったのが、このフクロウなんだとか。


 すごい歴史のあるところなんだと、ビックリしました。
posted by きとら at 17:28| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。